1967年 住宅の建て主が所有する大分市内の旧工場跡地の一角を利用して集合住宅の設計を依頼されることになった。但し総工費の7割ほどの融資枠の範囲!と言う厳しい条件があった。欧州でル・コルビュジェのユニテ・ダビタシオンの衝撃が頭にあり、そんな集合住宅をと思い挑戦することになった。3mほどの最小のスパンながらすべてのユニットに陽が当たるメゾネットのコンパクトプランの住居で解放感と住環境づくりを目指した。

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