天野彰のギャラリー

天野 彰 設計「大分フンドーキン・マンション」ローコストマンションの発見

「フンドーキン・マンションとローコストと『狭“楽”しさ』の誕生」

1967年 住宅の建て主が所有する大分市内の旧工場跡地の一角を利用して集合住宅の設計を依頼されることになった。
但し総工費の7割ほどの融資枠の範囲!と言う厳しい条件があった。欧州でル・コルビュジェのユニテ・ダビタシオンの衝撃が頭にあり、そんな集合住宅をと思い挑戦することになった。
3mほどの最小のスパンながらすべてのユニットに陽が当たるメゾネットのコンパクトプランの住居で解放感と住環境づくりを目指した。

柱と梁だけのローコストと施工法

市街地中央の敷地全体を「大分中央町再開発(フンドーキン・ビッレジ)」と銘打ち提案、その最端部の第一号棟として立ち上げた。
ギリギリの予算はプランの合理化とともに基本構造を柱と梁だけの仕上げなしの施工で、外壁は凸形台形の角棒を20cm間隔で打ち付けスランプ15cm以下のコンクリートで打った。しかもその凸状の角棒をはずしやすいよう早めに脱型、欠けたリブの角を左官で修正するのではなく、皆でハンマ―で叩いて丸めに削った。おかげで荒々しくも優しいビロードの肌合いのコンクリート壁が生まれた。
さらに鉄骨の避難階段を建て足場代わりに使い同一型枠を洗って再使用。設備も縦配管を軸に各プランの水回りを集中させ無駄な配管配線を極力避けた。果たして「フンドーキン・マンション」は見事に7割減の予算で建ち、その後半世紀以上が経って、Twitterや新聞などで保存運動も起きたが、耐震補強工事困難でやむなく壊されることとなった。

ローコスト「大分方式」と「狭“楽”しく住む」の誕生!

このマンションづくりで、当時施工会社の設計部に居た飯田郁夫氏は後に当社のアトリエ4A大分出張所長を経て、独立(飯田建築設計事務所)設立し、ローコスト・マンションの通称「大分方式(のちにルネス工法)」を編み出し全国展開をしている。
一方このローコストのコストパーフォーマンスの体験と欧州での街の住まい方*から、都市住宅における狭い・高い・遠いの「狭苦しさ」から逃れ“苦”だけを取り去り“楽”に、いやもっと“楽”しくもする「狭“楽”しさ」を見出すことともなった。この考えで、当時若手建築家の鈴木エドワード・大藤照光氏(故)などと「日本住改善委員会」*を立ち上げ、都市での住まい方を社会に発信することにもなった。

*都市での住まい方を欧州で学んだ。
欧州での城塞都市の本質は大陸の中で生きるか死ぬかの原点を知った。その城塞都市の中の住まいは都市住宅でそこは決して広いものではなかった。 日本の都市は(京都を除いて)田舎の街の集合体。 「ウサギ小屋発言」はその後経済大国にのし上がったわが国の企業戦士の住まいを観て彼らがそのように揶揄したもの。ウサギ小屋発言は狭さだけではなく日本の木造の脆弱さと開放的。それを粗末と勘違いしたものと思われる。                             
*「日本住改善委員会」
日本住改善委員会は建築家集団「住まいと建築の健康と安全を考える会(住・建・康の会」の前進。 「住まいと建築の健康と安全を考える会」 は1998年創設と同時に、故鈴木エドワード氏など建築家とサンスター技研 イナックスなど各健康材料メーカーと住まいの健康道場『家ッグ』(卵の家)ショウルーム(2005年)を渋谷に開設運営
               フンドーキンマンションの最新情報⇒